名誉院長のブログPage3


名誉院長

名誉院長からのメッセージ

 

歯科衛生士

名誉院長からのメッセージ バックナンバー 《21~30》


30.《銀行と歯科医療》
29.《交通信号とムシバ》
28.《東京都と歯科医師会》
27.《フードマイレッジとデンタルマイレッジ》
26.《会社と歯医者》
25.《ちょっといい話》
24.《院内LANと歯科医療》
23.《コンピュータと歯科医療》
22.《脳外科医と歯科医療》
21.《太陽電池と電車》


<<《Vol 31~Vol 40》   ⦅Vol11~Vol20⦆>>


Vol 30 《銀行と歯科医療》


 最近、車で遠方から来院する患者さんが増え、駐車場が少し手狭になりました。そんな時、隣地を譲ってもいいという話があり、購入を決意しました。

 当院は現在若い世代に継承中なので法人の負担を軽くする為、理事長個人で購入を決意し、借入をして手に入れることが出来ました。40年近く前、開業プランを持ち、ある大手の銀行に借入を申し込んだところ、あっさりと断られました。規模の大きさと立地(駅から遠い)、歯科医院でそのような設備の前例が無いとの事でした。
仕方が無いので色々な策を巡らし、無事当初の計画通りの建物を作ることが出来ました。
 しかし資金不足で、出来上がったのは鉄筋コンクリートの建物と1階の診療室、待合室、受付等のみ、中は中古の診療台と一般家庭で使う流しでスタートしました。
 内部は仕事をしながら使いやすいように少しずつ作っていく、医療の効率は使用しながら拡大するのが一番効率的と言う考えの下実行しました。また床は二重にしてからリノベーションを効率よく出来るようにしました。

 元々、建物全て診療部門にする予定であったのですが、2階に5年程住んでいました。
来る日も来る日も急患の対応と余りの忙しさに外出する時間も全くありませんでした。
資金が無いので冷房は無し、開業が7月1日、とても暑い夏でした、2ヶ月冷房は無しで治療が終わると診療台や患者さんの背中がビッショリ、また窓を開けるので誇りでザラザラ、若かったこともあり真夜中に拭き掃除をしたのを昨日の事のように思い出します。その後、やっと事で冷房を設置しました。

 2年程経った時に、あそこは場所が悪いし、スタッフも集まらないのでそろそろ閉院?という噂を耳にしました。そのとき、自分のやっていることは皆と価値観が違う、銀行も前例が無いと言った、これはいけると本当に飛び上がって喜びました。以来、毎年膨大な設備投資をしなかった年はありません。
 20年近く前に診療棟が手狭になり裏に直接は収入に結びつかない研究棟を増築しました。

 娘が歯科大学の大学院にいた時で、その当時何処も縮小傾向の中でお前の父親は何を考えているのか?とあきれられたそうです。
銀行から始まり、どの意見も今までの既成概念で、自分の求めている歯科診療との違いを感じました。

 日本でベンチャービジネスとは?と聞かれたら、その計画に前例が無く銀行がお金を貸してくれないモノと、自分の経験から断言できます。
歯科以外の世界から転職して色々な経験をした結論です。
テレビで4回報道されても、歯科医師の求人を出しても誰も見学にきません。
やはり今までの常識の延長線上に無いことを実感しました。前例があまりないのでテレビの取材に来たものと解釈しています。

 ロケット博士で有名な、私の尊敬する糸川英夫先生の「前例が無いからやってみよう」という言葉をいつも思い出しながら若い人たちと日々頑張っています。
後藤歯科医院はこれからも独創的な考えで、一歩でも二歩でも先の治療を目指して行きたいと今回実感しました。


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Vol 29 《交通信号とムシバ》


 もしこの関係をよく理解したら、歯を抜かれることが激減し、もしかしたら健康寿命が延びるかもしれません。

 ムシバはみなさんご存知のように、歯の頭の固い部分が溶ける病気です。鼻の頭や耳が溶けても決してムシバとは言いません。いわゆる、消化器官の一部で最初に食べ物と触れる部分です。これは消化器官(食べ物が口から入りお尻からでる)の病気です。しかし、今までに膨大な数の患者さんに説明をすると、ムシバを病気と思っていない人がいかに多いかよくわかります。

 歯の構造は、固い石のような歯の頭の中には、顎の骨の中で生きていくために必要な臓物(世間では神経と呼んでいますが、神経だけが入っているわけではありません)が入っています。これは、お腹の中にハラワタが入っているのと全く同じ理屈です。いずれも生きていくために必要な臓物です。ムシバのバイ菌が臓物に入ると、大変な痛みを感じます。これは、交通信号に例えるなら、赤信号を超えたということになります。強烈な歯の痛みです。しかし、殆どの人は、この歯の臓物にバイ菌が入るまで殆ど痛みが無いので来院しません。人によっては、歯は痛くなってから治療するものという勘違いがあります。痛くなってからでは遅いので、1.5歳から歯の検診があるのです。

 この赤信号を超えるとなぜいけないのか? いったん臓物(歯髄組織)にバイ菌が入ると、この臓物の入っている家には、多くの横道があり、そこに入ったバイ菌の除去は不可能となります。なぜなら、このバイ菌を取る方法は、通常入り口から細いドリルを入れ多くの時間をかけて削り取ります。しかし、横道に入ったバイ菌はドリルだけでは取れません。また最近では、顕微鏡を使い内部を観察しながらレーザーで横道のバイ菌を取る方法がありますが、それでも100%ではありません。ですから、歯の中の治療(歯内療法)した歯が痛くなり、抜かれる場合も多くなります。また、医院によって治療の成功率に格段の差が有ることも事実です。

通常この治療は三人で行います。前の晩から一人が滅菌をして、治療する先生は手が2本しかないので、衛生士の補助が必要です。健康保険の評価は真面目にすると、最低賃金にも達しません。材料代も、ドリル代も、細菌から守るゴムのハンカチの費用に対しても、高額なレーザーも評価されていません。この治療費は以前にも書きましたように、世界各国と比較しても、日本の健康保険制度の評価は異常と言えるくらい低く設定されているのです。

この理由は、昔患者さんが多く、歯科医師が少ない時代は応急処置程度しかできませんでした。ですから、評価は薬をつける処置の欄に入っていて、治療の欄ではないようです。しかし、一度規則が出来ると、時代が変わっても、その規則を変えるのはとても難しいようですね。

 ですから、いくら歯医者に通っても、赤信号を超えてからの処置は、結局抜歯につながり、人生の後半で膨大なお金が発生するようです。車も赤信号を無視すると死につながります。歯の赤信号を無視すると、結局人生の後半で無駄なお金が発生するようです。長年、最前線での治療でこの無駄な行為を実感します。しかし、赤信号を超える前に治療すると、痛くもない歯を削る悪徳医という評判が立ちます。また、レントゲンを使い時間をかけて説明すると、レントゲンを見せて脅かす悪徳歯科医という評判で、また人によっては、俺は痛みだけを取ればいいので、お説教を聞きに来たのではないと言い、ドアをガンと蹴って帰る人も過去には多く経験しました。やはり、痛くなってからやった方がどうやら無難なようです、という心境になるのも理解できます。

 開院当初から必ず患者さんに治療説明をしていると、最近ようやく、理解する患者さんが増えてきました。その人たちは、歯科に無駄な時間と医療費がとても少なく、健康寿命が長い様に感じます。これは、他人の論文ではなく後藤歯科医院での経験からです。
 38年かけてようやくこれらの事実に気づく人が最近は多くなった感じがします。
やはり世の中の常識にチャレンジするのは時間と忍耐が必要ですね!!


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Vol 28 《東京都と歯科医師会》


どちらも一年以内に政治と金の問題でトップが新聞の一面を飾ったということです。医局員になりたての頃、師匠の飯塚哲夫先生から、「歯科の記事がマスコミに取り上げられることは今までにほとんどない。」という話を聞きました。ヨーロッパ、アメリカでの留学経験をお持ちの先生から、とても鋭い意見をいつも拝聴していました。

 これらのニュースを聞いていて、以前に町から頼まれた講演を思い出しました。それは、中学生が卒業するにあたり、自分の職業をどの様に決めたらよいのか?  このテーマで400名近い生徒を体育館に集めて、年をまたいで2校で話す機会がありました。 私は10代の最後に就職に失敗し、また、電電公社に入社して仕事に失望し、転職して歯科医師になりました。そのような理由で講師を依頼されたかどうか定かではありませんが、その時に話をしたことは、「仕事はだれのためにするものか? システム工学的に考えると、人間は一人では生きることができない。したがって、仕事は人のためにする。また、権利の裏には必ず義務があること。発展途上国の人は、講演したようなすばらしい体育館で教育を受けることができない」等と話をしたことを思い出しました。 マスコミはあまり伝えないようですが、この基本的に誰のために仕事をするのかということが人々の意識に一番欠けているように感じました。

 このような話をすると、そんなことは誰でも知っているのでクダラナイ!! 言われそうです。しかし、高度成長時代は全てが上り坂、給料は黙っていても上がるし、歯科界では何の努力もしないで保険の点数が上がり生活が良くなる。だれが社長をやってもうまくいく時代でした。 このような時代なら事件にならなかったのかもしれません。

 しかし、世界の先進国はすべてが山頂を超えて下山を始めました、それに加えてウィンドウズの出現で今までの我々を取り巻くほぼ全てのビジネス環境が激変。朝一番でマイナンバーの市役所での取得、同日に有楽町で行われた、ラーニングテクノロジーの展示会を眺めても、素晴らしい講義をネット上で地球のどこに居ても受けらけれる時代になりました。このような時代の激変に気づかず、昔のままのやり方で問題が出たものと認識しています。

 しかし、一度今までの方法で成功すると、頭のスイッチを切り替えるのは、我々動物はほんとうに難しいようです。今回の事件から改めてやり方を変えるむずかしさを感じました。 しかし、我々の専門では毎日の診療の中で、患者さんの歯科に対する要求が毎年向上していることは事実です。4回のテレビ出演で痛いほど実感しました。


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Vol 27 《フードマイレッジとデンタルマイレッジ》


 先日連休に家内がギックリ腰で総合病院の救急に受診、3日間にわたり院内を観察する機会がありました。ここは20年近く前に彼女がクモ膜下出血で手術を受けた病院です。以来あまり付き合が無かったのですが、新館が完成したとのことで3日目に新館の内部を見る機会がありました。以前に比較して医療の効率が上がり、また、それをサポートするコンピュータが裏で活躍していました。大病院のコンピュータシステムに関する学会に昔出ていてほぼ概念は頭に入っていたので興味深く、長い待ち時間を有効に活用することが出来ました。後藤歯科医院も以前に書きましたように、院内にコンピータ網を張り巡らし、受付から医局、レントゲン室、技工室、衛生士の専門の治療室、会議室、これらのシステムは、医療の効率を飛躍的に上げることができるようになりました。

 以前に家内から、食べ物にはフードマイレッジという概念があるということを教わりました。それは、近くで採れた野菜を食べるのと、地球の裏から運ばれた野菜を食べるのとでは異なり、膨大な運搬のためのエネルギーが必要になる。これはある意味ではとても無駄が多い。これを歯科医療に当てはめると、入れ歯の型を取り、下請けに出し、営業マンが集めて、書類を作り、さらに、孫請けに出す? ときには外国にまで出す。また、受付もコンピュータを使い患者さんの無駄な待ち時間を減らす、コンピュータを使い、いろいろな情報のアクセスが早くなり、効率が上がり患者さんから大事な時間を奪わなくて済む。スタッフも無駄な部分に気を使わず、死んだ時間が無くなる。これを私の造語で、デンタルマイレッジと言っています。そして歯科においても、この概念が必要と感じています。

 しかし、歯科界の今までの長い習慣を変えるのは本当に難しいです。
 一例をあげるなら、ムシバをひどくした歯の治療の時に、口の中の細菌を治療する際、歯のみを防護するゴムのハンカチのようなもの歯の周りに張ります(ラバーダム防湿)。「バイ菌のみならず、ドリルを誤嚥から守る」50年近く前から必要性を学校でも、国家試験にも出ますが、先日読んだ雑誌では、日本では使用率が5~10%のこと、未だにこれが普及していないようです。さらにスタッフの安全を守るための口腔外バキュームも普及していません。しかし、医学的に必要なものでも医療安全を無視することはできません。かなり昔、労働衛生コンサルタントの試験を受けた時に、貴方は現場を理解しているのでそのまま即実践できますね、と言われつい調子に乗って、でも、今回習ったことを全て実行したら会社はつぶれます、と言ってしましました。面接官の驚いた顔、試験は当然の結果不合格でした。

 世の中でも水俣病しかり、車のエアバック、車の排気ガスの問題しかり、若気と無知のために、今ではとても反省すべき内容は数多くあります。医療安全を考えて必要なものは実行する。これらは患者さんから見えない部分(感染防止、とくに滅菌)に本当にお金がかかりますが、これらを解決するためには、私の造語であるデンタルマイレッジの概念が多くの失敗から学んだことで必要な時代になったと考えています。


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Vol 26 《会社と歯医者》


私は昭和30年代高度成長時代の直前に神奈川県立神奈川工業の電気通信科に入学、卒業後、電電公社に入り、一年で退職、その後神奈川歯科大学に入学しました。

 高校時代は多くの会社の生産ラインを見学しました。そして開業後、労働衛生コンサルタント受験のため、会社を数社見学、その後に日本歯科新聞社の依頼で歯科の材料、機器を生産する工場のレポートを「月刊アポロニア21」に連載しました。 転職者から歯科界を改めて眺みると、最近とても面白いことに気づきました。それは、会社と歯医者の収入体系が全く逆であるという事実。会社は、不良品を作ると倒産、しかし歯医者は口の中を悪くするととてもお金になるようです。貴方の医院の方針はどの様に考えているのか?
と言うお叱りを受けそうですが。当医院は、一例を挙げるなら、ガンの治療で人間を生かし、ガンを取り除く、または共存するように、歯を残し、病気だけを取り除く、または共存させるのです。
 「実はこれがとても難しいのです。なぜなら、長い間、歯科医師が少なく、患者さんが多いときの歯科医療はどちらかというと応急処置、この体制が浸み込んでいるので、国の制度、患者さんの常識、新人の歯科医師の固定概念が邪魔するからです。」日本財団[歯の妖精、Tooth Fairy]でミャンマーを訪問、そこで目にした現実、歯科医師が少なく患者さんが多い国は仕方がありません。昔の日本人の口の中を思い出しました。しかし、現在、日本は成熟社会、ようやく、本来の歯科医療が可能になるほど歯科医師が増加しました。しかし、いろいろな制約でそれをすることの難しさを実感します
。むし歯をひどくした治療の費用は、保険では最低賃金制以下に決められていて、これを真面目に一人でやると経営が成り立ちません。仕方なく歯を抜く選択肢が増えるかもしれません。幸い当医院ではチーム医療で不採算の部分を、システム工学を駆使した方法で何とか解決しました。30代でかなり差し歯に、そしてやがて総入れ歯に、老衰で歯が無くなるのなら仕方がありません。でも学校では歯の老衰を習ったことも国家試験に出たことも記憶にありません。

人生の後半で歯が原因の疾病で、膨大な医療費が発生することを防ぐことが可能になります。最近テレビで、噛めることの大切さを放映するようになりました。長年最前線で徹底した現場主義を貫き、患者さんを長期にわたり観察すると、やはり、よく噛めるようにした人は、健康寿命が長い様に実感します。なぜなら家族づきあいをしているとそれとなく患者さんから教えられるからです。真理は全て口腔にあり、やはり机の上には無いようですね!!会社も時代に応じて変化するように、歯科界も転換期だと感じています。


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Vol 25 《ちょっといい話》


 先日の中国の春節に合わせて、中国の成都から歯科医師が当院を訪ねてきました。
彼は天安門事件の前に、茅ケ崎の日中友好協会に日本で研修をしたいということで来日しました。歯科医師会で快く引き受けて、最初の一年は、3医院で引き受け、二年目に当医院に引き受けの依頼がありました。 私の師匠の飯塚先生は、口腔外科の大学院終了後にフランス、アメリカに留学、帰国後先生の話を伺い、卒後直ちに師事しました。そんな関係で、海外の話、留学の話をよく聞いていたので、引き受けることにしました。当医院では1年半ほど、その中では母校である神奈川歯科大学にも研修の機会があり、かなり充実した日本の生活をしていたように記憶しています。

 彼が帰国後、お互いにあまり連絡が無くなり、28年の歳月が流れました。
 
先日、最初に引き受けられた先生から、以前のお礼だけに奥様と来日するという話を伺いました。その後、引き受けた4歯科医院で集まり、日曜日に歓迎会を行いました。
 
彼の日本語は最初少し忘れているような部分があり、しかし、直ちに昔の流暢な日本語に戻りました。昔の思い出話、中国の歯科の現状などを伺いました。
お礼ということで、茅ケ崎の歯科医師会に友好のあかしとして大きなペナントを頂き、各自には、中国の干支のブロンズなど、手紙つきの彼の大きな診療所の写真、【無償でいろいろ教えていただき、一生涯このご恩はわすれません】と一筆も添えてありました。
 開業当初は、まだ試行錯誤の時代でよく外国人まで引き受けたものだと懐かしく思い出しました。後日、後藤歯科医院を見学したいとのことで御夫婦で訪問、院内を案内したのち自宅で長時間いろいろな話に花が咲きました。
以前からNHKの中国語講座で勉強していたので、今回初めて中国の人と話をすることができ、自分にとっても良い経験となりました。 カタコトの中国語ですが、さらに勉強する励みとなりました。

 日本は島国のため隣国の人との交流は必要と思い、海外旅行に行って買い物出来る程度と気楽にボケ防止のため中国語を勉強し始めたことが役に立ちました。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、次回は彼の診療所を訪ねる約束をして、近くの駅で別れました。国民に密接に関係する歯科医療を通して、中国の目覚ましい経済発展を感じることが出来ました。それと同時に、私の開業当初から歯科に対する熱意が彼に伝わっていたこと、国は違えどお互い未だに歯科に携わっていることにひと時の幸せを感じました。



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Vol 24 《院内LANと歯科医療》

 パソコンにLANのコネクターがついて、直ちにLANの実験を始めました。
近くにPC関係で独立した会社を探し、そして簡単なサーバーを借り実験を開始しました。それまでの勉強会は、原稿をワープロで書きそれをコピーして、スタッフに配布していました。これは実に無駄な時間と材料を必要とします。しかしそれ以外に当時は私の知る限り個人で使える良い方法がありませんでした。

 2000年に完成した研究棟には、まだLANの配線をしていませんでした。
実験を開始して、本当に便利ということが判明し、直ちに院内すべての部屋に研究棟からLANのワイヤーを張り巡らしました。
そして買ったサーバーは、プロが使うミットレンジのサーバーを導入しました。
全くコンピータを使ったことのないスタッフを、知り合いの若いPCのエンジニアにつけてコンピュータ教育開始し私はアイディアのみ参加しました。全くコンピータを使ったことのないスタッフに、一台PCを与え、今ではプロ顔負けの実力を持っているようです。もしそれらすべてを自分で実行したら、物理的にいくら時間があっても足りません。こういったところに当院のチーム医療(連携)が活用されています。スタッフがマルチに仕事ができるよう教育したことによって院内LANの効果はより増します。
 システムを構築するには、歯科医療と、コンピュータに何が出来て、何ができないかという概念をしっかり頭に入れる必要があります。
多くの歯科以外のコンピュータ関連の展示会に国内外とも出かけ、数多くの本からひたすら情報を仕入れました。

 以前、単独で買った画像情報を記録する業務用機器を10年ほど使い、長所、欠点を徹底的に学びました。そして、スタンドアロンでの使い方と全員が共有すべき情報の必要性を感じ、全員が使える高額の業務用ソフトと、高速スキャナを購入しました。その画像ファイリングシステムにおいては、使用開始から10年ほどかけて、ほぼ軌道に載せました。
これらは、コンピュータの性能が向上したらできるように、また院内の仕事をシステム化に乗るよう、準備しておきました。これらを使ったおかげで能率が劇的に変わり、いまさら院内LANのない現場にはもう戻れません。
 また、新人で全くPCができない人材が、短期で機器を使いこなすには驚きです。人間みな何か得意なものが必ずあること、スタッフの長所を見つけ出すこと今回の件で考えさせられました。現在の院内LANでは、院内のあらゆる場所から気が付いたこと、新しいことを書き込み、勉強会で議論します。

 また殆どの情報が現在PCにより管理されています。その便利さはなかなか言い表すことができません。雑誌、文献、こまごました書類が机の上から消え、いつも頭の中がクリアなのは、精神衛生上メリットがあります。昔のあの書類は、あのメモ書きは、あの文献は?箱の中、膨大な書類の束、ファイル、レントゲンのケース、それらを探す時間が(人生で死んだ時間)が無くなり、効率が上がりました。院内LANにおけるセキュリティは、外部と、内部のコンピュータを完全に分離して対策を構築しています。そして特別なサーバーの部屋を作り、エアコンを完備して、熱対策と外部からの侵入には十分注意しています。
 使ったお金は、すでに住宅が一軒買えるくらいと、多くの失敗も重ねました。でも趣味でつまらないものにお金を使うより、頭を使うし、効率は上がるし、とても良いと思います。
 しかし、コンピュータはまだ発展途上でアイディアはいくらでも出てきますが、自分の体がいつまで続くか疑問で、そのため次世代の人に現在システムの構築の仕方を教育中です。歯科におけるコンピュータはやはり発展途上の機器であり、使用には注意が必要です。 また、歯科医療は患者さんの高度な要求に一人で対応することは不可能なことを、院内LANを使うと実感しチーム医療の必要性がハッキリします。これらのノウハウを今後多くの若い歯科医師に教育できたらと思います。



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Vol 23 《コンピュータと歯科医療》


 我々は毎日テレビによって洗脳されています。正確にいうとディスプレー上の情報により何らかの影響を受けているわけです。

 開業間もないころ、患者さんに歯科医療を有効に行うために、最低限度の治療に必要な情報を使ったりして話をしていました。しかし、診療の合間にその時間を作り出すことはとても難しく、効率を上げる何か良い方法はないかと思案していました。ある日、テレビを何気なく見ている時にヒラメキました。そうだ、毎日見ているテレビの逆をすれば患者さんに効率よく情報の伝達が可能になるかもしれない。という仮説のもと、さっそく実験を開始しました。当時8ビットのコンビュータが発売されたことを電波新聞で知り、品物を見ないでさっそく導入。頭のやわらかい衛生士に当時のブラウン管の上に方眼紙を張り、そして説明用の簡単な文章と絵を作りスライドにして患者説明にと開始しました。当然ハム仲間からの有能なアドバイスを受けたことは多々ありました。

 真空管工学を勉強した人間にとって、ブラウン管の上で字や絵を描けるということは信じがたいことでした。それ以来、ワープロの出現や、コンピュータを多種、多数買い使いました。税務調査が入った時に、こんなにたくさんの機器を使うのは、前例が無いので認めないというので仕方なく、A4に10枚程度意見書を書きました。これも想い出の一つです。やはり前例のないことをすると日本の社会は難色を示すようです。教育も自分の頭で考えるのではなく、先生の言うとおりが良い生徒であるということを実感しました。なぜ、どうして、あまり貫くと小学校で経験したように異端児になるようです。しかし歯科医療は皆と同じでは未来が無いように思っています。ロケツト博士で有名な糸川先生は、前例が無いからやってみようということを、いろいろな経験から本を執筆、推奨していました。
 実験の効果は抜群で、当時若かったので人の話を中々聞きいれない年上の人が、ディスプレーによって反応が異なる実感を得ました。以来、業務用のワープロを何台も購入、並行して、新しいパソコンを何台も買い足しました。そして、業務用の画像ファイリングシステムにたどり着きました。  
 
 近年どこの職場でもコンピュータを目にするようになりましたが、もともとコンピュータの高度な教育を受けた専門家が使う機器を一般の人が利用するようになったわけです。個人的にはコンピユータは昭和42年当時、ベトナム戦争が激しい時代、米軍の巨大な船、確かクロンダイク。海上の巨大な修理船を見学した時にタンスを並べたような実物を見たのが人生で初めてです。    
  
 それ以来、頭の中に電子技術者になれなかったもう一人の自分が、これはいいから買ってみろ、というような気がしてたくさん買い、実は多くの失敗もしました。
 やがて、歯科で使うには、自分なりに問題点を鮮明に理解したので、また単独で使う問題点も判明しました。業務用のワープロ、スタンドアロンの業務用ファイリングシステム、これらの失敗は、院内LAN構築の大きなヒントになりました。

 現在、当医院はコンピュータ管理のもとスタッフ全員に最新情報を常に流しながら診療に活かしています。医療において院内LANの必要性が今後増々広がればと考えています。



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Vol 22 《脳外科医と歯科医療》


 私の親しい友人に脳外科医がいます。彼は小学校3年生の時に町の学校から転校してしまいました。
風の便りに同級生は医者になったという話を聞きました。長い年月が流れ、開業して間もないころ、電柱の看板に彼の名前があり、もしかしたらと電話をしました。
 案の定、同級生でさっそく当医院に見学に見えました。友達だけではなく子供時代、誰からも一目置かれたお兄さん、現院長も一緒でした。ちなみに同級生は副院長です。

 それ以来家族づきあいはもとより、多くの症例のお世話になり、脳外科医から見た、歯科を多く教わり、また歯科医療についても多くの話をしました。当時救急指定医院で毎日多くの外傷、脳血管障害の患者さんを扱っていました。当然顎骨骨折も脳外科に入院、その間に患者さんの手術を一緒にしました。そのような付き合いから、お互いの医院を行き来するうちに、歯科医療について興味深い意見を貰いました。人間誰もが生まれつき歯が無いのなら納得できるが、歯を抜いた後に入れ歯、インプラントなど、あまり大々的に宣伝するのはいかがなものか?それは歯科医が天然の歯を残せない為に仕方なくするので、少し気分的には、恥ずかしいのでコソコソしながらやるものではないかと冗談半分で話をされました。なるほどと、目からウロコです。転職して歯学部でいつも心の中にあった疑問が一気に解決しました。それは、もしかしたら、歯科医療とは、主に歯を失った後の治療を考える学問ではないかと思うようになりました。ですから、病気の治療をしている概念が希薄で、多くの患者さんも虫歯を病気と思っていません。

学生時代の実習は、入れ歯、その他に歯を失った後の補い方がほとんどで、なぜ無くなったのかより、そのあとの処置にウエイトが置かれていたのではないかと気づきました。また、技工士がいるのに、なんでこんなに実習をするのか?実は今は考え方の違いから一緒に仕事をしていませんが、兄が二人技工士なので歯科界に将来身を置くとは知らず、昔小遣い稼ぎで入れ歯の研磨、技工物の配達をしていました。また、こんなものが口の中に入って本当に機能するのか、と高校時代に電気学を学んでいた私としては電気理論に比較してどうだろう?と思ってアルバイトをしていました。しかし、当時は、現在のミャンマーの人たちの口の中のように、歯科医師が少なく患者さんが朝の5時から並んで治療受ける程忙しすぎて歯を保存する治療ができなかったためだと今になって理解しました。

 しかし現代はwindows(インターネット)の出現で、世界のビジネスが劇的に変わり昔のやり方では通用しなくなっているケースが増えています。歯科医師が増え、患者さんが十分歯科医師を選べる時代になり歯科医療の捉え方の違いから、問題が発生しているのかもしれません。インターネットでは世界中から情報を簡単に入手でき、そのためか患者さんの歯科医療に対する要求は年々向上しているように感じます。何度かテレビに出演して実感しました。日本は現在成熟社会です。
しかし、一部の歯科医師のメンタリティーは、歯科医師が少ないという理由だけで恵まれた成功体験を忘れられず、変化する時代にマスクしているかもしれません。私も多くの歯科医師を教育して痛切にこのことは感じています。ですから、先日の新聞の一面に掲載された政治スキャンダルもそのような観点から見ると理解できそうです。現在は全ての仕事が、国民マイナンバーに代表されるように、コンピュータなしでは存在しえません。コンピュ-タは少ない情報量だと真価を発揮しないということです。しかし歯科医療の中に、コンピュータを導入することは、とても難しい問題を含んでいます。それは、医療の基本方針をしっかりしないとシステム化は難しい、さらに、一人では患者さんの難しい要求を満足させることは難しく、クレームがだんだん発生してくるからです。チーム医療体制を取らないと、規則で縛られた歯科医療制度のもとでは医療の効率が上がりません。当医院のシステムは友達の脳外科医と、師匠の飯塚哲夫先生の教えをもとに構築されています。歯科医療を取り巻く問題を解決するには、今までの延長線上には無く、新たな発想が必要です。発想を変えると 歯科医療の未来はとても明るく面白いと自信を持って言うことができます。転職者から見て、50年の経験から、それは全く今までにない発想で当然今までの常識から外れることになるわけです。

首から上は、脳外科医との連携が必要で、コラボするには、歯科医療の特殊性を活かしお互いに情報を交換しないと実現できません。また、咬合のトラブルでごく一部は、歯科だけでは解決が難しく脳外科医の力を借りないと難しいのです。テレビの放映後、訪れた難症例から学びました。これからも今まで以上に医科(脳外科医)との連携をはかりつつ、最良の医療を患者に提供していきたいと考えています。


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Vol 21 《太陽電池と電車》


 太陽電池が発売されて間もなく、単体の太陽電池パネルを秋葉原で購入。電気にとても詳しいハムの友達にコンバータを作成してもらい、大型のバッテリーに電気をため、さらに風車を使い、両方で充電したその電気を使い、お湯を沸かしコーヒーを飲んだり、非常時の無線機の電源としました。
 趣味でとっている電波新聞に一般家庭用の太陽電池が発売されるというので、直ちに注文、自宅に設置した。
それまでに10年ほど秋葉のパネルで実験をしていたので何の迷いもなく5KW導入。さらに3KW追加しました。以来電車に乗って、外の風景を見るときに家にパネルが有るか、探すのが楽しみの一つになりました。
 自宅にパネルを取り付けた当時は、沿線沿いのパネルを見つけることはありませんでした。
 以来20年近くたっても、相変わらず車外を眺めると屋根に目が行きます。しかし当時と比較すると東日本大震災以降パネルを設置した一般家庭が急増したように感じます。
 先日所要で千葉に電車で行ったとき、いつものように外を眺めていると面白いことに気づきました。
 それは、東日本大震災に計画停電があった地域は、パネルを設置している家庭が多く見られ、計画停電が無い地域は殆ど見られない現象でした。
これは私だけの偏見かもしれませんが、もしみなさん機会があればぜひ観察してみてください。
 私は色々な人に太陽電池を薦めていますが、中でも多くの誤解があるようで、気づいたものをまとめてみたいと思います。私はメーカーの宣伝員ではありませんが!!
1、曇りでは電気をあまり起こさない? これは誤解で曇った日でも日焼けするように曇りでも50パーセントくらいは十分に電気を起こします。
2、電気をあまり売れない? そんなことはありません、電気を売れないということは自分の家の電気の消費量が多いということで電気代は激減します。
3、メーカーの人も言わない事、二階が嘘のように涼しくなります。
4、家の無駄な電気を消す習慣が出来ます。
5、一回このシステムを使うと太陽電池を使わない生活は考えられない。現在さらなる太陽電池を求めて、ついに家を建て直すことになり現在仮住まい中です。
仮の住まいでは太陽電池が無いため、電気代がかかることに改めて驚いています。
以上の解答は、中古で買った家を何回となくリノベーションを繰り返し、その結果出された結論です。皆さんもぜひ参考にしてください。


 

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